更級神明大神社の由来

鎮座地

 この神社は更級神明大神社といい、長野市大字大豆島字宮河原一三二六番地にあります。

祭神・相殿

 祀られている神様は大日孁命(天照大神)で、相殿として譽田別命と天児屋根命が一緒に祀られています。

由来

 最初に建てられたのは何時の時代かはっきりとは分かりませんが四百五十年以上前のことと思われます。

 天正年間(一五七三~九一)に犀川の大洪水があり村の大部分が流されたとき、神社も大きな被害を受けたので千田境、今の川合新田に移されました。

その後、水害で荒れた土地が村人の努力で、ほとんど元の状態に戻ったので、明和六(一七六九)年に現在の境内に戻し、この地を宮河原と呼ぶことにしました。

 この神社の名前は、もともと、更級神明社と言われていましたが、安政元(一八五四)年七月更級神明大神宮と改名し、更に明治四十(一九〇七)六月二十五日更級神明大神社と改称し現在に至っています。

 昭和二十八(一九五三)年十月十三日、宗教法人令により宗教法人の登記がされました。

境内神社

 境内に祀られている神社は、天満社、養蚕社、七社の三つです。

建物

 本殿、祝詞殿、拝殿 文化十四(一八一七)年に再建されました。

 鳥居 明治十七年(一八八四)年に再建されました。

 本殿の石垣 明治二十九(一八九六)年に築かれました。

 本殿、拝殿の屋根 昭和五十五(一九八〇)年に銅板に葺き替えました。

境内地

 境内の広さは、一、五三四坪(五、〇七一平方メートル)です。

祭日

元 旦 祭  一月一日

元 始 祭  一月七日

祈 年 祭  四月第四土、日曜日

夏 越 祭  七月第三土、日曜日

二百十日祭  八月末日

秋   祭  十月第一土、日曜日

新 嘗 祭  十一月第四土、日曜日

(都合により日程の変更もあります) 


平成三一(二〇一九)年二月九日



更級神明大神社歴史 及び 看板等検討委員会

平成28年度大豆島区総会において、更級神明大神社の解説看板設置の 提案があり、審議会議長が代表となる選考委員会が「更級神明大神社歴 史及び看板等検討委員会」の委員12名を選出し調査検討に入られました。


委員長:西沢利夫 

委 員:轟 勝 、 轟 貞夫 、 市川幸雄 、 市川 大 、 西沢 節 、 倉島直治 、 玉井久志 、 西沢豊秋 、 保谷利信 、 轟 賢三 、 轟 忠司 (敬称略)


検討委員会は、解説文案を今秋を目途に取り纏め区長会に提出し、 また、その文面は小学校高学年が理解できるものとされました。

▲轟軒治氏にお話を聞く調査・検討WGの皆さん

調査・検討資料の一部

▲「明細帳・由緒記」 明治40年に記録され たと思われる 

区長会所蔵

▲「宗教法人設立登 記関係書類」昭和28 年10月16日知事あて提出 

武井神社所蔵

▲「宗教法人更級神 明大神社規則」昭和 27年9月20日神社本 庁統理承認 

武井神社所蔵

▲「長野市誌 第3節 神社と寺院」 

長野県立図書館所蔵

▲「上水内郡神社明 細帳 大豆島村」 

長野県立図書館所蔵

▲「明治41年/昭和3 年遷宮式行列帳・明 治40年本社屋根葺替 日誌」 

区長会所蔵

天正年間(1573-92)犀川大横流、弘化4年(1847)善光寺大地震による火災・(岩倉山崩壊による)洪水、或いは戦後の混乱期に多くの資料を失ったものと思われます


作成にあたり、平成29年度祭典長 轟 勝 様から 資料をいただきました。